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インタビュー

「北海道を代表する会社を作りたい」――「ワンダークルー」渡邊智紀社長インタビュー

「エゾバルバンバン」「魚人」など、札幌を中心に18店舗(うち、FC3店舗)を展開するワンダークルーは、飲食店の経営・プロデュース、フランチャイズ事業、イベント・催事の出店、フードデリバリー、印刷物の企画・デザイン・編集・制作・販売、Webサイト制作、広告物制作など多数の事業を手がけている。代表取締役の渡邊智紀さんは24歳のときに夢の実現に向け、期限を設けて実行してきた。ワンダークルーの次なる展望とは?


アパレル業界から飲食業界に飛び込んだ理由とは

――まずは経歴を教えてください。
渡邊智紀氏(以下、渡邊):札幌の大学を卒業後、大手の仕組みを勉強したいと思い、紳士服販売チェーン店に就職しました。本当は都内での勤務を希望していたのですが、配属されたのが神奈川・横須賀の店舗で。周りに友人もいなかったので、遊ぶことなく、自己啓発本などを読み込んでいました。24歳のときに読んだ本に触発されて、「資金をしっかりと貯めて、28歳までに独立、30歳で3店舗目を出店する」という目標を立て、その通りに実行できました。
――飲食業界で起業した理由は?
渡邊:両親がお好み焼き店を営んでいて、小さい頃から店を手伝っていました。店の売上を親に尋ねたりしているうちに「お客様がいるから生活」できている、ということを子どもの頃から知ることができました。あるとき店番を任され、お客様が来たとき、自然と「いらっしゃいませ!」と言えていました。この経験が接客が楽しいと思えた原点だと思います。高校、大学時代はラーメン店や居酒屋などでアルバイトをしていたのですが、「いらっしゃいませ」にこもっている感情が違うな? と感じたんです。理由を考えたのですが、おそらく生活がかかっていないからではないかと。きっと自分の店だったら心から「いらっしゃいませ」が言えると思うんです。だから、サービス業、飲食業で起業しようと思い始めました。
――異業種である紳士服販売チェーン店に勤めてよかったことはありましたか?
渡邊:学生の時から起業はしたかったので、視野を広げられ、誰もいない環境である東京に行きたかったんです。また、会社としての仕組みをしっかりと学べる上場企業に絞りました。大手チェーン店の仕組みを学べた点はよかった点です。ベンチャー企業という道も考えましたが、将来的には上場するような大きな企業にしていきたかったので、上場企業にしぼり、紳士服販売チェーン店を選びました。今にして思えばとても良い選択だったと思っています。

 

2010年、27歳で創業店をオープン

――実際には27歳でオープンしました。予定では28歳に1店目でしたが、1年早いことにきっかけはあったのですか?
渡邊:就職して2年目に車にはねられ、気がついたときには救急車で「こんなところで死んでたまるか」と思ったことがきっかけでした。1年後に紳士服販売チェーン店を退職して、札幌に戻りました。この頃には「飲食店を開業しよう」と決めていました。しかし、調理などのノウハウはなかったので、イタリアンダイニングのキッチンスタッフとして勤務。同時に物件探しも行いました。しかし、実績もないため、良い物件になかなか巡り会えませんでした。さまざまな媒体で情報を探して出会ったのが創業店の物件です。繁華街から離れた立地で、一軒家ビストロの居抜き物件だったため、内装がとてもオシャレだったんです。業態は店に合わせて決めようと考えていたので、ここから業態を考え始めました。

渡邊:はじめは調理の手間も少ないハンバーガー店を考えていたのですが、先輩からバルがいいんじゃないか、という話を聞いて「バルが良さそう」と直感しました。しかし、単純にバルだけだと自分じゃなくても良い。何か自分らしいエッセンスをプラスできないか? と考えていたところ、あるお店でトマト嫌いの女の子にトマト串を勧めたところ「このトマトなら食べられる」と言っていたことから、野菜ひとつでも調理の仕方ひとつで食わず嫌いの人を変えられるんだ、という発見がありました。これは僕らの飲食店の価値ではないか? と考えて野菜料理とバルをくっつけた「北海道農園野菜バル Veggyの家」(現在は閉店)を創業店としました。野菜料理を売りにすると女性客を多く呼べるのではないか? という狙いもありましたね。
――スタッフはどのように集めたのですか?
渡邊:開業するにあたって資金も当時はギリギリだったので、求人にお金はかけられませんでした。調理師学校の前でスカウトしてみたり、ツテを使って集めてみたりとなんとか人材を確保。良い人材に恵まれたことから、会社を辞めて1年後の27歳の時に開業できました。最初の3ヶ月は立地もあって苦労しましたね。でもメニューやサービスなどをコツコツ磨いていったことで、リピートしてくれるお客様も増え始めて、月500万円の売り上げまで成長しました。
――その後はどのように展開していったのですか?
渡邊:1号店から1年半後に「Veggyの家」のコンセプトをそのままバー業態に転換した「スペインバルLittle VEGGY」を。その1年後に3店舗目となる「FISHMANS MARUYAMA」をオープンしました。後輩が飲食店を手放すという話を聞いて、「じゃあやるか」という感じで、あまり積極的ではなかったんです。当時は社内に内装デザイナーなどがいなかったので、工務店と相談していたところ、オープンできるのは9月30日ということがわかりました。9月30日は僕の誕生日でもあるので、運命的なものを感じました。ちょうど30歳の誕生日に3店舗目をオープンできたんです。

 

 

FC展開、セントラルキッチン導入……今後の展望とは?

――その後、大ヒットとなったエゾバルバンバンが誕生したのですね?
渡邊:僕らの出店スタンスは「やりたいことをやる」というよりは立地に合わせて業態を開発していく、というもの。路面に店舗の顔を作りたいので、2階以上の物件には基本的には出店していません。物件の周囲の状況などを綿密に調べ上げ、ニーズのある業態開発を行っています。そのなかで好調だったのが「エゾバルバンバン」「魚人」でした。現在は香川県、長野県、愛知県でフランチャイズ展開も行っています。併せて郊外型店舗としてフランチャイズ展開して行ければと考えています。



▲郊外店の「うおっと 魚人 屯田店」。エゾバルバンバンから業態変更を行った。
――セントラルキッチンも導入しているとか
渡邊:可能な業態はセントラルキッチンを導入しています。弊社は働き方改革を進めていて、営業時間も1時間短縮して、店舗が動いていない時間に仕込みを終えられるので、仕込み時間も短縮できました。結果的に全体的な労働時間が短くなっています。
――今後の出店はどのように行っていきますか?
渡邊:今後は「バンバン」「魚人」「餃子」「FISHMAN」「ナガヤマレスト」という弊社の業態をパッケージ化して出店していく予定です。エリアにハマる業態を選んでいくという感じですね。函館にも出店しましたが、1店舗だけではなく、3~5店舗業態を持って行くつもりです。どうしても流行り廃りはあるので、うまくいかなかったら次の業態を当て込むというサイクルで運営していきます。しかし、それだと従業員のモチベーションが上がりません。だからスタッフには積極的にチャレンジしてほしいと考えています。弊社の若手はチャレンジしたい人も多いので、1年に1つは新業態を作るよう心がけています。新業態の開発は従業員のためという意味合いが強いですね。業態開発に当たっては、向いている人材や手を上げた人材に任せるようにしています。
――将来的な目標はありますか?
渡邊:これからは人が重要になってくると考えています。「情熱は人を動かす」という言葉を胸に、人を大切にしていきたいです。また、企業としては「食の北海道を代表する企業」になりたいと考えています。
渡邊智紀氏プロフィール
北海道・札幌市生まれ。札幌で育ち、大学卒業後は紳士服販売チェーン店に就職。27歳で創業店をオープンし、30歳の誕生日に3店舗目の出店を達成。現在、18店舗(FC含む)を展開する。

(取材=中田 徹)

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